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⑤実家が寺

2026.11.04

人生なんて、苦痛が大半だと思っている。

別に人生を悲観しているわけではない。

楽しいこともある。

嬉しいこともある。

幸せだなと思う瞬間だってある。

ただ、それ以上に面倒なことや、思い通りにならないことが大半を占めている。

それが人生でしょ?

うちは親父の実家がお寺。

寺の家系で育ちながら、仏教のことはまったく分からない。

お経も読めない。

修行もしたことがない。

葬式に坊主が出てきて仕事をする。

その程度の理解しかない。

けど、人の死については昔からよく考えてきた気がする。

誰かが亡くなったと聞けば、もちろん驚く。

でも、あまり悲しいとは思わない。

「逝ったんだな」

「お疲れ様でした」

「ありがとうございました」

そんな感覚に近い。

親父が亡くなったときもそうだった。

もちろん泣いた。

でも、寂しくて泣いたというより、

「育ててくれてありがとう」

その気持ちでいっぱいになった。

邪険にしたこともある。

腹が立ったこともある。

それでも、根底にはいつも「ありがとう」があった。

 

人間、生まれた以上はいつか死ぬ。

そこだけは誰にも変えられない。

だからこそ、生きている間に何をするかが大事なんだと思う。

会社員を辞めて、ボクシングジムを始めた。

自分がやりたかったからだ。

傍から見れば、好きなことを仕事にして、楽しそうに生きているように見えるかもしれない。

実際、後悔はしていない。

でも、好きなことを仕事にしたからといって、毎日が楽しいわけではない。

面倒なことはいくらでもある。

むしろ、やりたくないことの方が多い日だってある。

それでも、俺が選んだ人生だ。

別にボクシングジムを経営することが、人生の正解だと思っているわけじゃない。

次の人生があるのなら、そのときにやりたいと思ったことをやればいい。

料理人でも、職人でも、まったく違う何かでもいい。

大事なのは、何になるかじゃない。

自分でやりたいと思ったことを、自分で選び、行動することだと思っている。

一方で、他人を羨ましく思うこともある。

自分にできないことをやっている人。

成功している人。

楽しそうに遊んでいる人。

そんな姿を見て、妬ましいと思うことだってある。

正直、そんな感情は持ちたくない。

もっと堂々としていたいし、他人の人生なんか気にせずに生きていたい。

でも、現実はそうでもない。

 

自分の人生に後悔はない。

それでも、他人の人生を羨ましく思う。

人付き合いもそうだ。

昔は気の合う人間とだけ付き合っていればよかった。

でも、仕事を始めてからは、毎年数百人単位で新しい人と出会う。

人と関わることが仕事の一部になった。

その反面、昔の友人や知人とは疎遠になった。

1年以上連絡を取らなければ、連絡先を消すこともある。

別に嫌いになったわけじゃない。

自分の中で整理がつかなくなるからだ。

人との出会いは増えているのに、付き合う人間は減っていくからだ。

不思議なものだ。

 

そんな俺が、人との関係で大切にしたいものがある。

誠実であること。

約束を守ること。

相手に敬意を持つこと。

別に完璧な人間である必要はない。

俺だって失敗する。

間違える。

人に迷惑をかけることもある。

高校生のとき、ガソリンスタンドのバイトで、シフト希望を出さずにいなくなったの、すいませんでした。

大学生のとき、雀荘のバイトで、100時間働いて給料7,000円だった絶望感から、シフト希望を出さずにいなくなったの、すいませんでした。

コロナ中にやっていた読売新聞のトラックの仕事も、骨折を理由に休み、その後コロナが明けてから出勤できなくなってしまい、すいませんでした。

俺だって、今思い返しただけで3つ出てきたよ。

それでも、誠実であることや、約束を守ることを大切にして生きていたいと思う。

ただし、自分がそう思うからといって、他人も同じように考えるとは限らない。

そこが人生の面倒なところなんだろう。

 

自分の死についても、最近よく考える。

怖くないと言えば嘘になる。

まだ死ぬには早いと思っている。

やりたいこともあるし、見てみたいものもある。

だから、まだ自分の死について答えなんて出ていない。

人の死は受け入れられるのに、自分の死はそう簡単には受け入れられない。

結局、普通の人間なんだと思う。

悟ったようなことを考えていても、欲はある。

嫉妬もする。

腹も立つ。

美味いものも食いたい。

まだまだ生きていたい。

 

人生なんて、苦痛が大半。

でも、だからといって不幸だとは思わない。

自分で選んで、苦労して、たまに笑って、また面倒なことに向き合う。

その繰り返しでいいんじゃないかと思っている。

そして、いつか自分の番が来たとき。

「ああ、いろいろあったな」

「まあ、悪くなかったな」

そんなふうに思えたら、それで十分なのかもしれない。

42歳。ちょっとまだ早い。

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