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②くだらないことには向き合えて、大事なことには向き合えない。

2026.10.24

前回の「人生、くだらないことが多すぎる。」の続きです。

人生とは、くだらないことと向き合いながら終わっていくゲームなのか……。

そんな自論を吐き捨てて終わりましたが、まあ、大体の人は同意してくれるんじゃないでしょうか。

私自身、毎日くだらないことと向き合いすぎて、いつの間にか「ちゃんとした大人」になることを諦めてしまった気がします。

それを一番自覚するのが、ジムのキッズクラス。

小学2年生、3年生の子どもたちよりもアホなことを言って、笑わせたり、ドン引きさせたり。

そんな毎日です。

自分でも「精神年齢は小学3年生くらい」と認識してます。

まあ、そんな人間が子どもたちにボクシングを教えているわけです。

大丈夫なんでしょうかね。

 

子どもが大人になったら、親はどうなる?

そんな私にも子どもがいます。

現在、中学2年生の女の子。

あと4年もすれば18歳。法律上は大人です。

最低でもそこまでは親として責任を持たないといけません。

大学に進学するなら、22歳くらいまででしょうか。

その頃、私は46〜50歳くらい。

そこでふと思うわけです。

子育てが終わったら、俺はどうなっちゃうんだろう?

俺はまだ小学3年生のままなのだろうか?

親が子どもをしっかり育てるのは当たり前ですよ。

ただ、この話になると意見が合わない人も多いので、普段あまり言わないのですが……。

私は、親がしっかりしすぎるのもどうなのかな、と思っている派です。

人間なんて、ある程度は勝手に育つものじゃないですか。

親があれこれ口を出しすぎる必要なんてないと思うんです。

もちろん、自分の子どもはかわいいに決まっています。

でも、子どもが成長するなら、親もそれに合わせて成長しないといけない。

いつまでも小さい子ども扱いして、あれしなさい、これしなさい。

それって本当に子どものためなの?

と思ってしまいます。

 

「子どもがかわいそう」という最強のセリフ

私が特に嫌いな、大人のセリフがあります。

「子どもがかわいそう」

これです。

もちろん、本当に子どもがつらい思いをしているなら、大人が助ける必要があります。

ただ、この言葉を使えば、何でも自分の主張が通ると思っている大人がいる気がするんです。

「子どもがかわいそうだから、こうしてください」

「子どもがかわいそうだから、それはやめてください」

いや、ちょっと待ってくれ。

それ、子ども本人が言っているの?

本当に本人がそう思っているの?

子どもを武器にして、自分の都合のいい主張をしているだけじゃないの?

と思う場面があります。

もちろん、子ども自身がうまく言葉にできないこともあります。

そこは大人が助ければいい。

でも、子どもが自分で考えて、自分の気持ちを伝える機会まで奪ってしまうのは違うんじゃないでしょうか。

大人が先回りして何でも解決してしまったら、子どもはいつ自分で問題を解決するようになるんだろう。

私は、そういう過保護な大人の主張が、子どもの成長する機会を奪ってしまうことがあると思っています。

 

そんなことを言っている我が家の話

そんな親父の元に生まれ育った子どもは、ちょうど良い手間の掛からない子どもなんです。いまのところ。

幼児の頃はおぎゃーおぎゃーもうるさくなかったし、変なことして怪我したりすることもなかったし、早い段階からご飯も自分で食べてたし。

1番感動したのは、1歳そこそこの時に自分でトイレでウンコした時でしたね。こいつは天才だ!と同時に、もうおれがオムツ替えるのも卒業だ!って。

生まれた時の感動の次に感動したエピソードです。

そんなうちの子どもは、小学校高学年の頃から、自分で進学したい学校を決めていました。

「この学校に行きたい」

「だから、この塾に通わせてほしい」

と、自分から言い出したんです。

へえ、たいしたもんだ。

私なんて、その年齢の頃は遊ぶことしか考えていなかった気がします。

そろばん、ピアノ、テニス、水泳、体操、塾、家庭教師、毎日習い事ばかりやらされて、ポケモンしたくてたまらなかったあの頃。全く逆です。

そして実際に中学受験をして、希望していた学校に進学しました。

ところがですよ。

入学して間もなく、学校に行かなくなってしまったんです。

おいおいおい。

自分で行きたいって言ったんじゃないのかよ!

最初の頃は、私もかなりイライラしてしまいました。

正直に言うと、平日の昼間に家にいられると、私が家でゆっくり過ごす時間がなくなるんですよ。

なんて自分勝手な理由なんでしょう。

でも、実際そう思っていたんだから仕方がない。

「学校行けよ!」

「なんで行かないんだよ!」

と、かなり強く当たりました。

でも、いくら言っても行かないものは行かない。

そのうち、私も何も言わなくなりました。

というか、半ば無視していたようなものです。家にいるとむかついてしまうので、私がジムで泊まる日も何日かあったかな。

決して褒められた対応ではなかったと思います。

ところが最近。

何事もなかったかのように、あっさり学校に行き始めたんです。

え?

行くんだ?

あんなに行かなかったのに?

何だったんだ、あの時間は。

もちろん、本人の中でいろいろな変化があったんでしょう。

本当の理由は本人にしかわかりません。

ただ、少なくとも我が家の場合、私がいくら「学校に行け」と言っても変わらなかったことが、口出しをやめた後に変わったわけです。

結局、あれこれ言わずに見守っていた方がよかったのかもしれません。

 

自分の親が反面教師なのかもしれない

こんな考え方になったのは、自分の親の影響もあると思います。

うちの親とくに母親は、ある意味かなり過保護でした。

私ももういい大人です。

会社員を経験して、独立して、会社まで経営している。

それなのに、今でも母親から、

「会計士にでもなったらいいじゃない」

みたいなことを言われたりします。

いやいやいや。

今さら?

何歳だと思ってんの?

まあ、心配してくれているんでしょうけどね。

「はいはい」

と聞き流します。

だからこそ、自分の子どもには、あまり余計なことを言いたくないのかもしれません。

本人が自分で決めて、失敗して、後悔して、また考える。

それでいいんじゃないの?

と思ってしまいます。

ちなみに、こんなことを書いていると知ったら、妻はきっと怒るでしょう。

「普段は変なこと言ってる奴が、偉そうに子育て論なんか語るな!」

と。

はい。

おっしゃる通りです。

反論の余地もありません。

 

大事なことには向き合えない

ここまで書いて、ふと思いました。

今回のテーマは、

「くだらないことには向き合えて、大事なことには向き合えない」

だったはずです。

でも、子どもの将来について、あれこれ考えないことは、本当に大事なことから逃げているのでしょうか。

私は、子どもの将来に興味がない、と言ってしまえる部分も実はあります。

いや、誤解しないでくださいよ。

どうでもいいという意味ではありません。

ただ、子どもの人生は子どものものであって、私の人生ではない。

ということです。

どんな仕事をするのか。

どこに住むのか。

誰と結婚するのか。

そもそも結婚するのか。

幸せになるのか。

そんなことまで親が心配して、あれこれ口を出したところで、結局は本人が決めることじゃないですか。

もちろん、困ったときには助けたいと思います。

でも、親が子どもの人生を代わりに生きることはできません。

だったら、必要以上に先回りして心配すること自体、くだらないことなのかもしれません。

なんて言いながら、私も最初は「学校に行け」と怒鳴っていたわけですけど。

結局、自分もくだらないことに一生懸命向き合っていたんでしょうね。

大事なことに向き合うって、一体どういうことなんだろう。

向き合うことが正解なのか。

向き合わないことが正解なのか。

それすらよくわかりません。

ただ一つ言えるのは、今日も私は小学3年生くらいの精神年齢で、ジムの子どもたちとアホなことを言いながらボクシングを教えています。

とりあえず、それは楽しい。

もう、それでいいんじゃないか。

……なんて思ってしまうから、いつまでたっても立派な大人になれないんでしょうね。

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